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成人式を前に

久し振りの記事を書いている今日は、成人式前日。

もうこのブログを定期的に見ている人はいないけど、
「今、この気持ちを何かに残しておかなくてはいけない」
そんな気がして、記事を書いています。

明日の成人式、私は体調不良のため、ついさっきキャンセルすることに決めました。

もともと、式に出るつもりは全くなく、振袖を着るのも前撮りだけにするつもりだったけれど、
前撮りで振袖を着てみたら少し気が変わって、母に頼んで美容院の予約をしていました。
それが先月の出来事。

けれど、年末年始の忙しさに加え、日頃の体調管理の甘さがたたって
先週からずっと喉が痛み、微熱も出てきた。
明後日からは大学の授業が始まるし、今月末からテストもある。
弟が受験生ということもあり、今無理をして体調不良を長引かせるわけにはいかないわけです。


…でも、それはキャンセルの「表向き」の理由です。


振袖の用意から、美容院や前撮りの予約まで、成人式絡みの事はすべて母がやっていました。
それは母が私のためにやってくれたことであり、同時に母の楽しみにもなっていたようですが、
「成人式」は私の意思とは程遠いところで着々と用意され、形作られ、気づけば目の前に置いてある、
「私」不在の儀式になっていました。

そうなってしまったのは、私自身がそもそも成人式自体に無頓着だったことに原因がありますが、
一番問題なのは、そういうことじゃないんですね。
(だって成人式に行く・行かないは、まったく個人の自由なんですから)

問題なのは、主役となる人が、ろくに自分の意思を持たず、人にただ任せっきりにするということ。
挙句、前日になって体調を崩し、用意されたものをあっさりとキャンセルする。
これこそ…母に対しても、成人する自分に対しても、無責任な態度でした。


最近、自分の意思(意志)があまりにも貧弱で、いけないと思います。
そう思う一方、人の意見に流されている方が楽なので、抗おうという気も起きない。

明日、日本中の20歳がそれぞれの形で「成人の日」を迎えるわけですが、
私にとっての「成人の日」は、こんなどうしようもない自分に区切りをつける日にしたい。
もう子どもじゃないんだって、親じゃなく自分が自覚しないと…。
就活にも卒論にも、中身が大人になれないようじゃ太刀打ちできないでしょう。


…明日、友達はどんな日をすごすんだろうか。
本当の意味で、私もみんなも、大人になれるだろうか。

秋の定期演奏会がこの前ありました。

シューマン交響曲4番
ヘンゼルとグレーテル序曲
未完成

ドイツプログラム三本立てだったわけですが
三曲ともなかなかチェロ泣かせでして、苦労が絶えない半年間でした(笑)
個人の技術も相当必要だったけれど、それ以上にチームプレーが大事な曲だったと思います。

演奏会自体は本当に大成功で、お客さんもかなり満足してくださったようで良かった!
弾きながら「楽しい」と思えた定演は、これが初めてです。
「弾けない&合わない」に苦しみ続けたチェロパート、最後の最後で良い終わり方ができたなぁ。





で、もう早速次の定演に向けてスタートしております。

次のプログラム、メインは「悲愴」です。
チャイコフスキー交響曲6番です。

ドイツ三本立ての次にロシア…
結構気持ちを変えるのが大変な気もします。
あと、それ以上に、
これからの半年間=先輩との別れ、自分たちが中心学年になる準備の時期
っていう重要な時期なので、失敗したくない気持ちが非常に強いです。

曲を理解する上でたぶん一番大事なのは

・その作曲家がどういう境遇でその曲を書いたか
・その曲が当時の社会に与えた影響はどんなものだったか
・現代日本に生きる自分にとってその曲がどんな意味をもつのか

この三つをちゃんと考えることかなと、個人的には思うのですが
そこに演奏技術とか音楽知識とか、諸々の事情を含めていくと
半年なんて短すぎて、本当にその曲に対して申し訳なくなるんですよねぇ。。。
「ちゃんと弾いてあげなきゃ」っていう想いだけが先行しちゃうというか。


それが去年1年生だった頃、もろに自分を潰す原因の一つになってしまいまして…
せっかくのシベ7ショス5プログラム、完全燃焼とはいきませんでした。


だから、今年の目標は本当にシンプルに「焦らない、あきらめない、潰れない」の三本立てです。
地道に努力して、チャイコフスキーを理解して、
もっとチェロそのものも好きになれたらいいなぁと。


謙虚に頑張りますので、どうぞ皆さん4月25日の予定を空けておいてください☆

語学と留学

外語大に入るまで、私は「留学は絶対行くだろ」と思っていた。


でも、大学に入ってみて

・自分が本当は語学にそれほど興味を持っていなかったこと
・ストイックに勉強しようという気が、実は全く無いということ
・そして、今の生活を壊したくないと願っていること

この三つに気づいた。


「外語大に入っておいてそれはないだろう」と言われるかもしれないけど、
留学という道は、今の時点で私にとっては一番遠い選択肢になってしまった。


しかし、それならそれで、私は留学以外の道でちゃんと勉強をしなきゃいけない。
語学に興味が無いとはいえ、外語大を出ておいて英語を満足に喋れないというのは…。


なんていうか、結局のところ私は口ばっかりで、
本心は英語もドイツ語もやりたくなくてたまらない。
それをオケの練習とか別のもののせいにして、本当に勉強しないでいるの。


そんな自分がとても嫌な反面、
こういうぬるま湯みたいな生き方が結構自分らしくて、気に入ってしまっている。
こんなんじゃ、将来はいったいどうなっちゃうんだろうなぁ。
近い将来、就活も控えているし…
このまま勉強しないで4年間を終えたら、私はどうなるんだろうか。

久々に

前回の日記、7月ですか!しかもmixiのコピペ(笑)
ブログトップもちょっと季節外れになってきたので、そろそろ変えなくちゃなぁ。


気がついたら9月になり、10月になり……
季節って、どんどん過ぎていきますねぇ。

この前、ふと秋の風を感じてとても驚いてしまったんだけど
それは私が地球の変化に追いついていけてないからなのか、
それとも、地球が今までよりも早く秋へ、そして冬へ向かっているからなのか?

たぶんどっちも合ってるんだろうけど、
「季節(時間)を咀嚼する」
それが今の自分の生活では贅沢となっている気がして、ちょっと悲しく思う。


まず、何もしなくて良い日…というのが一週間に一日と無い。
朝起きる→授業→デート・チェロ・バイト→22時頃帰宅→寝る。
ハッと気がつくと、周りの景色はなんとなく以前のものとは違っていて、
「あれ、自分は何を見てきたんだろう?」なんて思ったりもします。

そのせいか、好きな事に熱中していても、時々空しくなることがあります。
周りで起きていることに鈍感になっていないか、ちょっと怖くなったり。


今月は、来月の演奏会に向けて土日も練習が詰まってるし、いつも以上に忙しい。
日曜日も朝から夕方まで練習??
体調を崩す人も出始めた。
確かにこれも好きな事なんだけど、自分を追い詰めたいからやってるんじゃないよー。
どこのオケもそうかもしれないが、良くも悪くもうちのオケは変なとこがストイックだ。


そばに居てくれる人に向き合う時間がほしい。
何もしないで、ぼんやりする時間がほしい。
読書する時間がほしい。
旅に出たい。


…一方でお金を得るためにバイトもしたい。
チェロも自分のライフワークだからやっぱり手放せない。


結局のところ、
自分はワガママ・無い物ねだり・自己中なのですね。

一週間が9日間あれば、こうはならないはずだ
と思ったりもしたけど、
7日だろうが9日だろうが、私はきっと同じように忙しく忙しく過ごすんでしょう。


いつも同じような事で反省しては堂々巡っているのに、
なんで解決しないんだろうなぁ。
これが私の生き方だと、胸を張って言えるようになりたいけれど

それじゃあ、そばに居る人は結局ないがしろになっちゃうじゃない。


気持ちがつぶれちゃうよー。


自分は何が一番大事なんだろう?

人を見限る瞬間

タイトルがブラックな感じですいません(笑)
お前は普段からこんなコト考えてんのか!って嫌われそうだなぁー。
(こういうのって特にお酒飲んだときにときどき考えちゃうんだよね)


でも結構本気で知りたい!


そりゃ全く同じ人間はいないんだから、人の数だけ考え方にも違いがあるってのは自明です。
私が許せないものを、それを偶然一緒に見ていたある人は許せてしまうかもしれない。
そしてその逆も然りというわけですね。

とはいえ、「こういうのはイヤだよね!」って誰からも言われてしまうものも必ずあります。
たとえば満員電車の中で化粧したり、大金貸したのに半年返してもらえなかったりとか。



でもそういうわかりやすいのは、議論しなくてもわかりきってるから良い。
(…まさか電車内で化粧するのを許せる人が私のマイミクにいるのか?)

私が知りたいのは、そういう誰が見ても明らかに不快なことじゃなくて、
「許せるか許せないか決められないグレーゾーン」から
「許すまじレッドカード」になる瞬間てのが
各人どういう時にやって来るのか……ってことなんです。


たとえばものすごく思わせぶりな人がいたとして、
ああこの人もしかして…w って自分も周囲の人も確信していて、
来るべき時のために作戦まで立てて、自信満々に実行したのに、
実は本人にそんな気はなく、先走った自分だけが恥ずかしいじゃん!
みたいな状況になったとき。
(陳腐な例え話でゴメンナサイ。実体験ではないよ!)


そういうとき、まず悪いのは誰なんですか?
思わせぶりなあの子ですか?
先走って自爆してしまった自分ですか?
そうでなければ、自分をけしかけた周りの人?

そして、仮に「思わせぶりなあの子」がどうしようもなく思わせぶりだったとして、
誰よりもその子が一番罪深い!ということになったとします。
もし自分だったら、その子のことを許せますか??
それは何故?

「あの子は酷いことをしたけど…タイプだから許しちゃうよ〜俺」なんて言う人もいるだろうし、
「顔は可愛いけど…ああやって人の気持ちを弄ぶ人は絶対許せない!」と言う人もいるでしょうね。
他にも「今後の行い次第だよ」とか、人によって意見はいろいろあると思います。




まぁこの例え話は陳腐だし、実際よく聞く話でもあるので良い例じゃないんですが、
19年間生きてきて「人を見限る瞬間」っていうのはたぶん他にもいっぱいあっただろう。

実は今も人を見限りそうになっていてとてもグラグラしています。
(でも鬱にはなってないよ!一応身も心も元気)


私の場合、「ちょっとこの人どうなんだろう…」と思う人というのは
物事に対してやる気があるのかないのか、いまいち計りかねるというタイプが多いです。
しかもそれが今まさに自分にとってものすごく重要な物事だったりすると、もっとダメです。
言動なり態度なり、もっと言えばにじみ出るオーラでもいいです。
やる気の片鱗がちらと見えれば、それだけで安心するんだけど…
それがないと、ちょっとしたことで見限りそうになってしまうからいけない!

今相手にしている人もまさにそんな感じで、一体何を考えてるのかよくわかりません。
自分もただただ「どうにかしなくてはいけない!」って思うばかりだし。
そして「その人を見限った」将来の自分を想像してみて、その根拠のない使命感が自分を責める。
心の中の天使と悪魔の会話みたいに「あなたそれでいいの?その人を見捨てていいの?」みたいな応酬が延々と…


こういうとき、自分のペースに相手を引きずり込むだけのガッツがあったり、
特別な干渉をせずともうまく相手のペースに付き合っていけたりできればいいなぁ。
それともあっさりと見限ってしまえる人間だったら良かったかな??




うーん話がわからなくなってきたから締めたい。

人を判断するときの判断基準
というといろいろあって迷うけど、
何か自分の中でルールみたいなものがある方、ちょっと教えてください。
そして、グレーゾーンに入るような相手が現れた場合、
どうやってそのモヤモヤを乗り切ってますか。


うーん乗り切りたい!